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by v_yuucha_v
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5月13日(土曜日)中津川~須原
今日は朝から小糠雨。ネットでみると中部方面も小雨。さて、どうしたものかなぁとおもっているうちに、9時を過ぎそう。とりあえず中津川出発で新幹線の品川出発を確認。10時35分でOK。それでは今日の宿屋を確保。真中よりちょっと中津川よりの大桑村あたりでしらべます。旅館か民宿でよいかとおもいますが、なかなか情報がすくなく選択に苦慮。結局タウンページでさがして、電話。一泊確保できましたので、急いで身支度して品川駅へ。家から近いのでこういうとき便利。5分で品川駅へ。自販機にクレジットカードをつっこんで、指定席名古屋まで購入。駆け足でホームへ。5分前。
到着したのぞみに乗車。普通の日と違って、お客さんもすくなく、旅行者もすくなくどちらかといえば単身赴任の方が、昨夜かえりそびれて土曜日の朝の新幹線でかえっているような感じです。
雨はやむことなく、静岡、浜松、名古屋へ。名古屋で下車して中央線ホームから、セントラルライナーに。すわるためには350円の乗車券を購入します。乗車券は座席指定ですが前方から詰め詰めのようで、1両目満席状態です。そんなに駅をとばさずしっかり停車しながら、中津川終点へ。雨はやんでいません。
駅の改札をでるとすぐに大きな看板が。中山道の記述はなく、断片的に史跡や名所をのせている。土地感がないので、どうやったものか不明、しばし地図をみつつ、国道19号にのればいいかも。で、駅前をまっすぐ。そこから左右に古い街並っぽいところを左折してみる。みちは斜面にあたって右折。道路の真中に用水路のふた。これは旧街道のなごりかも…とおもっていると、旧19号にあたる。そのまま左折すると旧道となりますが、バイパスに向かいたいのでそのまま直進…。ずっと進んでいくと、坂は厳しくなり、雨でぬれてもきて…。いいかげんのぼってみたら、大きな道にでました。ここは19具尾のバイパスかなぁとおもっていると、中央自動車道のインター取り付け道路でした。ではバイパスはいずこ?。みちはこの先住宅街へ。とてもバイパスがある雰囲気ではありません、携帯電話の地図をみてもいまいちわからず。あきらめて、道をくだって旧19号沿いに北上することにします。けっこうのぼった坂道をくだっていくのはかなり寂しい。旧19号にでて右折。さてさて、こっちでいいものかなぁと思いながら進みます。あとでしたべてみたら、のぼった山の下をトンネルでバイパスが抜けてることが判明。駅前の地図にトンネル表記をしてください。おねがいします。
かなりの時間のロスと、心理的ストレスを抱えてまま、雨の中を馬籠にむえかっている??のかわからないままひたすら19号バイパスを探します。途中トンネルから出てきた道との交差点を右に右折し東に向かいます。じつはこのまま直進すれば旧中山道に合流できたようですが、しるすべもなく、ひたすらバイパスは東側と信じてすすみます。ずいぶん行った先にバイパスをいきかう車を発見。さらにちかづいてみると、19号の道路標識。さてやっとルートにのれました。ロスや約1時間。
バイパスをひたすら北上するのみですね。
バイパスをすすむと、落合の交差点の表示。たしか落合宿というのがあると覚えていましたが、まわりみつをする余裕がありません。すでに14時半をすぎようとしています。
そのままゆるやかな坂道をあがって、くだっていくと、道脇におなじみの中山道左右青色看板がありました。これをいけば、馬籠までの近道。とおもったのですが、左右どっちにいけばいいのか不明なのです。北上する→は谷あいに下っていきます。一方南下する→は山をのぼっていきます。告ごうがいいのは北上する山にのぼる→なのですが、そうなっていません。50mづついってもどってきて、決断です。北上する谷に下るほうにすすむことにしました、これは当たっていて、谷に下った後すぐにまたのぼって、バイパスより高い位置から陸橋でバイパスの反対側へわたります。それからか枡形に曲がりながら坂を下って、落合宿にはいっていきます。小さな川をわたって、交差点を右折すると落合の宿場街跡。良く見る工事現場看板を巻きつけた松の木もあります。あとは馬籠にむかってじゃんんじゃん行くのみです。落合の宿には助け合いの釜があちこちにありましたが、説明をよまなかったので、なんのためにあるのか由来不明です。
落合宿をぬけると、先ほど渡った川沿いに、谷を登っていきます。中山道や十曲峠をとおしますが、今回は車道をすすみます。雨雨、馬籠まで6KMの標識。30分ほどでつきたいのでさらに足を早めます。
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車が馬籠にむかってのぼっていきます。中央自動車道路のパーキングエリアを間近にみながら坂道をのぼることしばし、大きく道がカーブし、その内側の川が砂防ダムと護岸に囲われた公園の中道が、カーブをショートカットしています。そこの階段をくだって登ると馬篭の宿の入り口。自動車駐車場から左手に登ると、すぐに新しくて古い宿場街が現れます。
馬篭は、いままでの宿場街とはすこち雰囲気がちがっています。新しくて古い街並み。光景は清里や由布院に似てどこか人工的。手をいれて行く内にあるレベルを過ぎると、街並みが新しく感じてしまうのでしょう。家屋や石畳もどこもかしこも新しい…。よしあしあると思いますが…。
坂道に宿場が造られていて、まるで大山か英彦山の参道の宿坊のようです。そのまま登りきると一度県道をよこぎって、山道になります。どんどん登っていくと、県道が急坂を避けながら左右に振れ、その真中を中山道がまっすぐ登っていきます。
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馬篭からほどなく、小さな宿場の街並みに。そこは古くて古い。そこから急坂を登りきると馬篭峠にでます。馬込峠で午後4時を過ぎようとしています。少し暗くなってきました。雨は依然として降りつづけています。
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馬込峠の茶屋脇から急な下りをくだっていきます。ここで、すこしでも時間を短縮したいので、山道を走り降りることに。山育ちの得意技です。ジャンプに駆け足を組み合わせた技で、ものすごい勢いでくだっていきます。木の橋は滑りやすいので気を付けて、それ以外は、踏みだした足裏を滑らせながら勢いをころさずにどんどんくだっていきます。茶屋跡をすぎ県道と合流、また男滝女滝へくだる階段を飛びながら降りて、そこから走ってすすみます。大籠の宿へ登る坂を駆けあがり、またくだって、妻籠の駐車場脇から県道へ。バス待ちの高年ハイキングの方々がたくさん。横目でちらみしながら県道を渡って、また中山道へ。大きく曲がって登りきった先に妻籠の宿に到着。ここまで20分、7KM近くを一気に短縮。妻籠につくころにはかなりな雨。
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休むこともそこそこに南木曽駅方面へ。標識どおりに進んでいますがどうも遠回りしているようです。中山道は山手を越えますが、国道は下方を進んでいます。山越えで野尻へでるか、国道沿いに行くか思案。現在5時前。6時半まであと1時間半程度。残りキロ数は14KM。国道沿いでないと間に合いません。
南木曽駅へ下り、そこから国道にでて、木曽川沿いの歩道をひた走る。道は木曽川に山が迫り、鉄道が重なるようにみえます。山の上はガスに煙って、山道を選択していたらとてもやばかったかもしれません。
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ひたすら、暗くなってきた雨の国道脇を水たまりをよけながら走っていきます。トラックがひっきりなしに見ずしぶきをあげながら通りすぎていきます。時刻はすでに6時。これは須原まで7時にもつきそうにありません。この先は野尻トンネルがひかえています。
道下に中央線がすぐはしっています。その先十二兼の駅があります。今日はここまでにして、電車で野尻、大桑、須原まで行くことに。無人の駅につき、小さな待合室で着替えをして電車を待ちます。6時34分の塩尻行き電車が到着。ワンマンカーなので、ボタンをおして車内にはいります。
乗客はお仕事帰りの人がほとんどのようです。
電車はすっかり暗くなった木曽谷を進んでいきます。野尻や大桑で乗車する人もなくだんだんとすくあんくなりながら、須原につきました。須原の駅は少し高台にあるようです。今日泊まる民宿は川向。坂を下って、旧中山道、国道を横断して、木曽川にかかる橋を渡ります。運動公園や体育館を大きくまわった裏側に民宿があります。到着時刻7時ちょうど。中津川を出て4時間半、約27KMの行程でした。
民宿は、大きな民家のようで、たくさんのグループが宿泊できるようです。すぐに食事にしてもらいました。食事は、とてもたくさんのおかず。タラの芽、ます、わさびの花など山菜ももりだくさん。冷えた身体にうれしい炊きたてのご飯、さらにお昼の残りだけどといってだしてもらったたけのこご飯。食べ過ぎるくらい食べました。
雨なのですこしひえ気味なので、まだファンヒーターが付けてあります。お風呂をいただいて、部屋でゆっくり。テレビをつけていたら、いつのまにか2時。やばい、消灯。
■走行時間 4時間半
■走行距離 27KM
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:35 | 中仙道一気走り!
5月4日(木曜日)下諏訪~奈良井
朝も食事は最悪の部類。インドでもおめにかからなかった危険さ。てきとうに食い散らかして、とっとと旅館をさりました。ここは泊まってはいけません。
さて、今日はどうしようか…すこし迷いがあります。今回のGW中のお出かけ予定最終日です。甲州街道を東京に向かうか、このまま中山道をすすむか。結局中山道をすすむことに。
下諏訪から塩尻峠を越えて、木曽谷には入り奈良井の宿が目的地になります。行程42KM。
下諏訪の街から塩尻に向かう旧中山道をしめす道しるべはんまったくみあたりません。このへんかなぁと思いながら適当に走っていきます。前方を中山道スタイルであるくおじ様発見。おいついでお話を伺うと、昨夜は宿がとれず、塩尻にとまった朝電車で下諏訪までもどってきたそうです。昨日は和田峠をこえたのこと、足が少し悪くしていて、大変だったとのことです。
別れを告げて、塩尻峠を目指します。高速の取り付け道路の歩道橋を渡って、旧道にのります。車道の塩尻峠yは大きく迂回しているので、旧道はとても近道になります。車も通れる道を登っていきます。塩尻峠は諏訪側からは簡単に登りきることができます。
峠の最後の最後は急傾斜。ガリガリの登って峠へ。さて塩尻峠というほど大変ではありません。
この旅で気づいたのですが、旧道の峠というと登山のような道を想像してしまいますが、もともと人があるくに便利な道で、しかも京都と東京を結ぶ幹線だったことを思えば、登山のような道筋であるはずもなく、峠といえど楽に越せるような配慮があるようです。
この塩尻峠は諏訪からの登りはきついのですがとても短く、塩尻からの登りは、だらだらと長い登りがつづいています。いまからこの長い下りをおりていきます。どんどんなだらかに道はくだっていきます。諏訪が結構高い位置にあるのがよくわかります。
この辺りから中山道と認識できるものが極端にすくなくなってきます。この辺は、伊那へ、松本へ、諏訪へ、木曽への道が入り乱れ、間道もたくさんあって、どの道をみても中山道にみえてきます。塩尻に近づくと国道20号線沿いに宿場街のそれらしさが出てきますが、とても短く断片的です。塩尻は宿場から離れたところに駅ができたため、中心が分かれ街としての盛り上がりにかける印象があります。宿場を抜けると、ワイナリーの看板がたくさん目に付きます。ここらあたりは甲州とちがったワインの産地のようです。塩尻駅に近づくと駅前のにぎやかさがでてきますが、人もすくなくちょっと寂しい感じ。ここで中山道は中央線に分断されます。いまは駅の西口に地下道でぬけます。車道といっしょになった地下道を抜けて、そとにでると、大きな通りに。さて、まったく中山道を見失いました。ここからは国道19号線にのって木曽へ向かうことします。
ぶどう畑の間を結構な交通量の19号を南下。木曽川が造った河岸段丘の何段目かを国道が通っています。途中から、右に曲がり河岸段丘を2つほど下へ。交通量から解放されて静かな道を進みます。ワイナリーやメルシャンというバス停などワインにちなむ多くの場所をみつつ、洗馬の集落へ。木曽川の川岸までくだっていくと、田園の中に蕎麦屋が。古い民家を蕎麦屋にしているようで、そろそろお昼によいかもしれません。いってみると、11時半からとのこと。店の前には県外ナンバーと6名ほどの列。それに加わって待つことしばし。列は伸び、30名ほどに。有名店か?。
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お店が空いて席に案内してもらう。もりが1000円ほど、自信の現われか、よい材料をつかっているのか。山菜のてんぷらとわさびの花ともりとワインを注文。ワインとわさびの花をたべたべ蕎麦を待つ。山菜てんぷらは普通。そばは…ん~普通。信州産のそば粉をつかってたりするのですが、これはこれで微妙。けっこう外国産や北海道産でも風味のよいものもありますから、地場にこだわる以外の理由がなければ、食べた印象は強くありませんです。
ワインでよっぱらい、お店をあとに。これでは走れないので、歩き歩き。日差しがつよく、半袖なので日焼けしてないなかったところがじりじりきちゃいま。中山道はいずこ。洗馬の駅に向かうと、ああ古い街並み。ここが洗馬の宿とわかる。この宿をでると、道はいったん中央線のガードをくぐって、木曽川の左岸ぎりぎりへ。そこに「ここより木曽路」の石碑。時代的には新しいもののようです。しげしげ石碑をみて、歩道をとことこ歩いていきます。木曽川の曲がりくねりに合わせて、発達した河岸段丘の上に宿場街がのっている状態で、次の宿場に到達。ここは蕎麦ぎり発祥の地とのことで、大きな看板とプレハブの蕎麦屋が立っています。お腹がいっぱいなので立ち寄ることが出来ません。
さて、先を急ぎます。道は、途中で右岸に渡ります。昔も橋で渡っていたのでしょうか。もう昔の中山道を追うことも出来ず、広く拡張された国道を登っていきます。前方から2人づれの女性がくだってきます。女性は親子の様で娘さんはぼくより上に見受けられます。挨拶をしましたが、返してはいただけませんでした。きっと怪しく見えたのでしょう。
登りきって少し下ると贄川の宿となります。右手に旧道らしきものが見えたので急坂をのぼってみると小学校の入り口で、ちょっとショック。その先をこれまた急に下っていきます。宿は道を挟んで反対側さらに線路をアーチ型のレンガ橋を渡った先です。道をわたると線路の向こうに関所の後が見えます。関所の屋根には石がのっているもので、新しい建物ですが趣があります。
贄川の街は建物は新しくなっていますが、両側に用水路があって直線でそれなりの風景をのこしている場所です。商店にたちよってアイスクリームを買って食べ食べ進みます。このあたりから漆器や木工のお店がちらほらでてきます。贄川をすぎると、旧道は僅かな棚を選びながら谷に沿ってすすんでいきます。中央線の旧トンネルがくちをあけていたりするところを見ると、中山道は中央線に食べられてしまったのかもしれません。
夕方になって日がずいぶんと傾いてきました。木曽川を再び渡って左岸へ、国道が街を避けるように山肌を登っていくのと分かれて、旧道が谷へくだっていきます。とたんに、旧家がぎっちと立ち並ぶ街に入ってきました。本庄の宿です。古いお店が軒をつなれていますが、そのほとんどというかすべてが漆器屋です。鴻巣でも雛人形の街をみましたが、ここは漆器だけの街です。とても不思議な光景です。しかもずいぶん長くたくさんのお店があるようです。古いお店はどこも良くて手入れがされていてとても綺麗、またショーウィンドのようなディスプレイにも志向がこらされていて、街全体の活気と品位がでています。さすがに汗ミドロな状態では覗くわけにも行かず、通りすぎます。
市町村合併後は支庁舎となった役場跡を過ぎて、道がのぼり国道に合流。すでに4時をまわっています。奈良井はもうすぐです。国道沿いを進むと、大きな道の駅があります。道の駅では木工漆器の取り扱った施設がいくつかあるようです。その裏を進んで小学校とか中学校とかが並んである裏手をかわぞいにすすんでいくと、橋向こうに中央線、そして体育館が見えます。奈良井についたようです。道は橋を渡るべきなのですが、国道沿いにすすんでいきます。川向に宿場街をながめることができます。しばらく川沿いに国道を進むと、奈良井川に大きな木橋がかかっています。きょうの目的地に到着しました。
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最近出来た歩行者専用の橋ですが、よく浮世絵に出てくる日本橋のような橋です。山の端に日が沈んでいきます。
橋をわたると、公園になっています。公園のトイレで身支度。身体を拭いて、顔を洗って、身体を拭いて着替えます。さてさっぱりしたところで、公園に腰かけてお茶をのみのみ。
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夕方の奈良井は観光客がまだのこっていますが、もう帰る様子。脇道から線路を越えて、奈良井の宿場街へでる。いきなり古い旅篭が軒をつなれてならんでいる。見た感じすごい圧倒感。これまでのどの宿場より規模や、保存状態がすばらしい。旅篭は民宿や漆器、土産物、食堂などになっていて適度な観光化と住居のバランスがよくとれています。
いったん駅に向かってあるいていきます。駅で帰りのあずさの切符を買おうと思いましたが、5時で窓口はしまっていました。また奈良井の街へもどってコーヒーと甘いものでもと、お店探し。
そろそろしまりがけなのかなと、歩いているうちに、ほおずきのランプがかわいい1軒にはいることに。先客は1組。入り口に近い4人がけの席に腰かけます。ご主人と奥様と2人でやっておられるようです。りんごのたるとと、カフェオレを注文しました。
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お店はそう広くはありませんが、調度品とか小物とかとても古い、でもよいものが並んでいます。 骨董ということでなく民具というわけでなく。組み合わせで新しいものになっている…そんな店内です。
カフェオレとりんごのタルトをいただいているとご主人が声をかけてくれました。
コーヒーのことや、いれ方へのこだわりや、豆の原産についてのことなどいろいろお話してもらいました。普通のコーヒーもいただいて、そろそろ電車の時間です。あいさつをして駅へ向かいます。
電車は18時5分、観光客数組。お母さんと娘さん、ご夫婦という感じ。写真をとってあげました。
電車が到着、ボタンを押してのりこむタイプです。整理券をとって、社内を進むと、高校生がたくさんのっています。部活動帰りのようです。奈良井より先の高校にかよっているのか、何かの大会だったのか…。電車は塩尻まで今日来た道をたどっていきます。15分ほどで塩尻到着。GWのためかあずさがとても混んでいて、1つ遅い臨時電車に座席指定で購入します。駅前の縄文そばでてんぷら蕎麦をいただいて、駅に戻りあずさにのりこむと、登山者、ハイカー、観光客でいっぱい。おかげでジョギング姿でも、まったくめだちませんでした。

■走行時間 10時間
■走行距離 42KM
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:34 | 中仙道一気走り!
5月3日(水曜日)和田~ビーナスライン~下諏訪
カーテンも障子も空けっぱなしだったので、翌朝ご主人に寒くなかったのですかとたずねられてしまいました。閉めるものだったのもしりませんでした。
朝食は7時、食事部屋も昨日とは別の部屋へ。この部屋も骨董などでかざられたとてもいごごちのよい部屋です。後から同じく和田峠を越える男性といっしょになりました。あいさつをして、中山道話をすこし伺いました。朝食もすべてあたたかくとてもすばらしいものでした。たらのめの味噌付けなど絶品です。食後にコーヒーをいれていただきました。とてもうれしいサービスです。
出発のとき、料金をはらいました。とてもこの金額でよいのかと申し訳ない感じでお支払いし、宿をあとに。とにかく長久保の浜田夜旅館はすばらしいです。お勧めします。
上和田までのバスが7時40分に出発しますので、ちょっと下手のバス留まりへ移動します。あとから朝食をいっしょにした男性もおりてこられました。いっしょにJRバスにのって上和田へ。15分ほどで到着。いいわすれましたが、このバスを含め無料でのることができますが、寄付というかたちで100円を払うことも出来ます。運転手さんに一声かけてくださいね。
上和田で、男性と少し中山道の歩き方の伝授をいただき、別れました。和田峠めざしてランニングスタートです。
上和田のバス停からまもなく宿場街は切れ、谷あいの一本道。しかし交通量は早朝にかかわらずかなりの量があります。途中歩道のないところもありますので、きがぬけません。唐沢の集落をショートカットする橋を渡って左手に中山道の矢印が。山道ですが入ってみます。当時の街道筋なのか林の中を道は進みます。しばらくいいくと道の左右に小山があります。一里塚だそうです。そこをすぎるとき急な階段をおりて、また国道へ。この旅始まって以来の山道はほんの300mくらいで終了。また国道をとことこ。男女倉のバス停標識。ここまで村営バスがあがってくるようです。右手には1軒屋。さらにすすむと、新しい和田峠を越えるバイパスと、旧国道の分岐。ライダーが2名休んでいます。しかし、なぜかバイクは1台。2ケツなのかなぁとおもうけど、そのバイクには、荷物がつまれています。一人はメットをかぶったまま、一方は携帯電話で誰かと話しています。”さきほどおねがいしたものですがぁ”と聞こえます。ああ、どこかでこけて、このバイクに拾われて道までくだってきたのかなぁ…ガス欠かなぁ…。いろいろ想像しながら、通過。旅にトラブルはつきものですが、気を付けていきましょう。
バイパスとの分岐を左へ、旧国道にはいってすぐ大きく右にまがるところに旧中山道の入り口があります。石の塚や、案内板などこれまでになく多くのものがあって、見落とすことはないでしょう。峠までの距離もでていましたが、意外と近い感じがしました。
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山道といってもかなり整備された感じのする道をのぼっていきます。まだあちこちにいろんな案内板がでています。これまで不案内だった場所の恨みをはらすかのようです。
お地蔵様がたくさんならんだところや、トイレなどの横を過ぎ、山道をあがっていきます。いりぐちだけでなく、中もずいぶん整備されているようです。のぼりは決してきつくなく、だらだらとした楽なのぼりです。もちろん、山登りをしているわけではなく、昔の産業道路をあるいているわけなので、それなりの工夫がされているのでしょう。
国道は大きく迂回をくりかえしながら高度をあげていくので、この山道が最短で峠までたどりつけそうです。その国道は頭の上にきたところで、いたん合流。ひろい広場とかつての接待所の復元家屋のところへ。ここで一休み。マイカーが2組先客でいます。ここに湧き出る水をくんでいるようです。接待所の板の間に腰かけてみます。と、獣のあしあとがついています。たぶん狸でしょう。そういえば、和田宿ドライブインをこえたところで、猫と狸の死骸がならんでありました。たぶん先に猫がはねられて、たべにきた狸もはねられた感じでした。
すくなくなったペットボトルに水を補給しようと湧き水のところへ。ここは獣の匂いがします。東京でも家のマンションのエレベーターや電車で横に座ったひとからも獣の匂いがすることがあります。この水場には複数の獣の足跡があります。
水を足して、接待所をあとに。国道を少し登ると左手に常夜灯があり、左手に山道がつづいている。この道をまた登っていく。今度は足場が少し悪いかなぁとおおもっていたら、石畳になってる。かなり大きな石が敷き詰められて、歩きやすくはない。昔はこんなところを牛や馬でにもつをはこんでいたのだろうか…。小川をわたったり、急な登りを繰り返し、15分ほどすすむといきなり視界が開けてきます。道の両側に小山があり、一里塚のようです。そこからキャンプ場になっています。キャンプ場の脇をすすんでいきます。途中のベンチに中年男性が休憩中です。同じく和田峠を越えてるようです。越えはかけずそのまま行きすぎます。すぐ国道に合流、餅屋後の看板の右手に餅屋ドライブインがあります。ここで休憩、ドライブインでお餅をいただきます。
おじいさんが一人でいます。先客の片付けをしているようです。”よいですか?”と声をかけて、カウンターでお茶をいれて、1人前お餅とコーヒーを注文します。あとからドライブ中のおじさんが3つほどお土産用のお餅をかっていきました。
できたよぉの声を聞いて自分の席から取に行きます。お餅は2つ、一方はこげ目がついています
あとパキパキの野沢菜。ときどき立ち寄っていますが、なかなかの美味しいです。田舎風ではなく、けっこうおしゃれな薄さで、あまさも抑えたよい甘味です。コーヒーなど飲んでいましたら、さきほどキャンプ場にいた中年男性もはいってきました。注文の仕方がわからず、おじいさんと言葉をいくつかかわしていました。
自分の食器を下げて、お店をでるときに、おじいさんが声をかけてくれました。”和田峠あるいてるの?”。”すこし早すぎるので白樺湖に行ってみようとおもっているんだけど”、”今日はお休みで道は車が多いので、そのほうがいいかも”(ここから下諏訪への国道は道がかなり狭いです)。”そうしますね”、”そのほうがいいよ”。こんな会話を交わしました。たしかに今下諏訪に下ると、正午にはついてしまいます。”ずっとつづけてくださいね”など無責任な言葉をおじいさんにいってししまい多少後悔していますが、そんな声をかけてお店を後にしました。
お店をでると、中山道はビーナスラインとの分岐、その分岐を国道側へ、国道をわたって小道にはいると、さっきわかれたビーナスラインの下を小川が暗渠になってくぐています。その暗渠の右側にわずかについた路をとおります。そこで、氷の塊にでくわしました。ただえさ細い路は氷によってさらに狭められています。氷とトンネルのわづかな隙間をよこになって通過します。
トンネルをでると、笹の原っぱに路がついています。ビーナスラインと同じ高度になるまでのぼって、路は右手へ。ここで中山道をお別れ、ビーナスラインに足を踏みだします。ビーナスラインは、国道の和田峠の切りとおしの上にかかる橋をとおります、国道は、信号のあるトンネルにすいこまれていきます。和田峠の国道は現在でも最後の最後は、片側通行のトンネルとなっているのですね。
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さて、天気は快晴!アルプスの雪をかぶった峰峰をとおくに眺めながらビーナスラインを走っていきます。GWなので車やバイクもたくさん走っています。みんなじろじろ見ます。ここでサングラスを着用。こちらだってまけじとジロジロみることにしました。
ビーナスラインは西側に眺望が開けていてます。諏訪の谷を覗きこみながら、若干ののぼりざかを尾根や谷を巻きこむようにゆるやかなカーブとアップダウンを繰り返します。空が近く雲はもっと高く。時折、左側の眺望が開けると、浅間山、八ヶ岳、その向こうに富士山が見えます。車やバイクはかなりの速度で走っていきます。途中自転車にのった女の子に先をこされました。ソロツーリストのようです。また、前方に、3人ずれのハイカーの姿がみえます。同じ方に向かっていますが、なかなか追いつけません。早足であるいているようです。20分くらいで近づいて、高校生くらいの娘さんをつれた親子でした。むすめさん、お母さん、お父さんの順であいさつをしつつ追い抜いていきました。こういったときには、お父さんは先頭を引っ張るように早足であるているんですね。
少し峠を越えると、霧が峰。前の視界が急に開け、下りになります。霧が峰のレストハウスが見えます
駐車場はかなりの車で埋め尽くされています。
レストハウスまでたどりつくと、ここに来た大きな目的の1つとうもろこしをいただきます。味付きのとおもろこしが苦手なので、あじのついていなものをおねがいしたのですが、味付きのをだされてしまいました。とおもろこしを売っているのは中国人なので言葉が通じません。機械的にとおもろこしをうっているのでしょう。しかなたいけど味付きでがまんです。
レストハウスのすぐ近くにグライダーの滑走路があって、白い機体がそらにあがっていきます。サマールをもとめて北側へ
おもろこしをすわって食べ食べ。そうしているうちの先ほどの親子が到着。やはりかなりの早足のようでした。とうもろこしの後はソフトクリームです。はしってつかったカロリーは一気に補給されてしまいます。これでは痩せることはないでしょう。
ここからは上諏訪方面にくだっていきます。休日なのでバスできているかたもいて、なんにんもバス停の時刻表を確認していました。
さて、そろそろ駆けだします。ここからは上諏訪の立石公園をまわっていきますが、一方的な下り路です。上諏訪への最短の路となりますが、傾斜もあって下りダメージが足にきそうです。まず霧が峰高原ホテルの脇をぬけ、スキー場のリフトのりばを眺めながら、大きな駐車場を左手にみながら下っていきます。スキー場をすぎるといきなり急な下りとなります。両側はよく手入れされたヒノキの幼林がつづいています。大きなカーブをなんども曲がりながら徐々に高度が下がっていきます。ここらあたりは急峻な山肌にはりつくように路がつくられています。ときおり見とおしの利いたカーブを曲がる際に、眺望が開け遥か下方に諏訪の街が見えます。
どんどん下っていく。靴の中の足の指が痛くなってきました。駆け足状態ですが、いちいち足裏でブレーキをかけながら1時間近く下っていかなくてはなりません。息はまったくあがらないので、足が無理やり動かされている状態です。ところどころ諏訪バスのバス停もあります。だれもすんでいないようにみえますが…。
かなりくだってくると、なにかの保養所やゴミ焼却場や老人ホームをすぎて、集落にたどり着きます。ここからまっすぐ下らずに、右へ道をとります。この道は旧道のようですが、諏訪湖の上にある立石公園につづいています。この道は比較的なだらかですので、負担は少ないのですが、やはり足につかれがかなりきている感じがします。どんどん進むと、リゾートマンションが左手に。丘の上に立つ眺望の開けたマンションで、展望風呂付きです。投機目的に購入するものかなぁなどと通るたびにいつも思うのですが、もう出来て数年立つのにいまだに分譲中です。
さらにくだっていくと、右手にラブホテルがあり、左手が立石公園の眺望台です。ここで休憩することに。まったくつかわなかった足の上側の筋肉がいたくなっています。また靴の中も。左足の膝も変です。やれやれ、とベンチに腰かけお茶をのみの眺望を楽しみます。
諏訪湖にはスワン号(白鳥の形をした遊覧船をこう呼んでいます)がひっきりなしにお客さんをのせて行き来しています。乗船や到着をしらせるアナウンスがひっきりなしに聞こえてきます。女性ではなくておっちゃんの声です。こっちにスピーカーがむいているのでしょうかかなりの距離があるのに、よく聞こえます。上諏訪の方々は毎休日にこの声をきいているのかなぁ。街中だと気にならないのかもしれません。
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さても良い天気です。雲はあっても遥かに高く、空は青く。かなり日焼けしそうです。山は青く霞んで湖面は銀色に光を反射しています。
ここで30分ほどだらだらと休んでしまいました。さてと立ちあがると、ももの表の筋肉が硬直しています。左膝は後ろに振り上げると激痛です。なんとか歩いてみると、まるでロボットのようなありさまです。テケテケとぎこちなく歩いていくことになりました。まぁ歩いていけば硬直した筋肉はまた伸びてきます。左足の膝はあるところからいたくなくなるのを経験的に知っているので、しばらくいたいのを我慢します。
くねくね葛折の道をショートカットする脇道を見つけては下っていきます。集落を抜け、新道に合流。道下の田んぼには水が張られていたり、田起こしをしていたり。新道はまっすぐ上諏訪へくだっていきます。途中高校のある場所から右折して旧道へ。上諏訪の街に入ってきます。古い街並みの間をくねりながら進むと、甲州街道国道20号線に。そこを右折して上諏訪駅方面へ。左足の膝はまだ回復してません。ロボット歩きのまま駅前に到達しました。下諏訪までどうするかなぁとちょっとだけ思いましたが、電車にのることにしました。ひと駅分切符を買って下りホームへ。GWのせいかたくさんの人です。電車までしばらく待ち時間があります。今日の諏訪はとても暑く、みなさんホームの日陰で涼んでいます。まもなく電車が到着、乗車してドアの近くで立っています。発車するとすぐに湖畔を列車は走ります。5分ほどで下諏訪駅に到着。
駅を出て、今日泊まる旅館の方向を確認。諏訪大社春ノ宮の脇、甲州街道起点と中山道の追分あたりです。駅からまっすぐ広い道にでてそこを右折。まっすぐなのぼりざかの先に諏訪大社があります。諏訪大社の手前を左に大きく曲がると、そこから下諏訪の旅館外となります。旧街道はこの一本西側を通っています。塩ヨウカン屋さんを通り、甲州街道の起点を過ぎ、今日泊まる旅館へ。今回は名前を伏せますが、かなりつかれた感じの旅館です。部屋にとおされると、そこは西荻窪の格安トイレ共同風呂無し型アパートのようです。ふるいのとぼろいのと…。玄関にはこの旅館の持ち主の物で散らかり、ともて営業しているようには見えない。隣棟では中華のレストランをやっていたようだが、今は閉めているようだ。多分旦那さんは勤めにでて、うちに残った人がとりあえず続けていますという感じ。スどまりなら交渉しだいで格安になるかもですが、不潔な感じはぬぐい去れず…。おまけに食事をお願いしてしまった…失敗です。
部屋にとおしてもらいましたが、カギもなく、布団はしきっぱ。コタツも出しっぱ。結構不潔感いっぱい。ここにいてもしょうがないので、外風呂へ。近くには下諏訪温泉の共同浴場があります。そこに入りにいきました。休憩すると別途料金がかかる不思議なお風呂屋さんですが、まちがいなく温泉です。さて、今日はずいぶん走ってきましたので、身体が塩噴きまくりです。脱衣場でさっさと脱いで洗い場で身体を丁寧にあらって湯舟へ。結構あつい…がまんして身を沈める。日焼けがとてもピリピリ。
あまり長く入っていられない温度なので、すこし上がって、また入ってを繰り返します。
いつもシャワーなのでこういうときはとても長風呂します。1時間くらいは入っています。お風呂からあがると、登山からかえった女性が入ってきました。ひとりでどこかにのぼってきたみたいです。
2階にあがって、畳の部屋でゴロリとよこになり、サスペンスの再放送をぼけぼけと見てすごします。
あの部屋に帰ることを考えるといやな感じなので、しばらくはサスペンスみて帰ることにします。
サスペンスもおなじみの結末シーンで終わり、かえろうかとしてますと、先ほどの登山jの女性が2階に上がってきました。とても薄着なのでドキドキしてしまいましたので、逃げるように階下へ降りていきました。
そとに出ると少し夕方。目の前の酒屋さんでワインの小さいのと、杏の干し物をかって、その辺をぶらぶら。御版は7時からといわれてたので、そろそろもどります。
旅館の玄関をあけると、「食事いいですよ」との声。顔を出さず声だけ。いかんですね。で、そのまま部屋に戻らずしまった中華レストランの食堂へ。さて料理は…中華のようなそうでないような…まるでイトウヨウカドウのお惣菜売り場でかってきたものが並んでいるようです。揚げ物も、煮物もとてもつくった温度ではありません。気温よりも冷たい。あぁこれはジャスコの惣菜売り場でかってきたものだなぁと直感です。かつおのたたきは見た目で危険そうな鮮度。サラダのトマトはもう食品かどうか微妙な状態です。食べてよさそうなものだけを選んでもぐもぐ。でも食事というではありません。早々に退席、部屋にもどることに。ワインをガバガバのんで杏をむしむし食べて、すぐ寝ました。

■時間6時間
■走行距離 約35KM
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:33 | 中仙道一気走り!
5月3日(水曜日)芦田~和田
今日はいいお天気になりました。御代田からアルプスの峰峰が良く見えます。ホテルを7時半にでて、御代田から小諸、小諸から岩村田駅までいって、昨日のった千曲バスを捕まえます。しかし接続が悪く1時間待ち。いったばっかりのとこみると佐久平で接続していたようです。失敗。しばしぶらぶら、1時間後9時40分にバスがきました。白樺湖行きです。ここから芦田までバスでいます。芦田についたのが10時過ぎ。これなら東京からきても到着できそうな時刻になってしまいました。前倒ししていたためいたしかたありません。今日は、長久保に宿をとっています。ここから笠取峠を越えて過ぐです。今日はゆっくり調整の日となります。笠取峠は松並木が残るとてもきれいな道です。峠そのものは急峻ではありませんが、長い登りがつづきます。天気も快晴、しっかり日焼けしそうです。昨日の寒さにいたんだ間接も今日は問題ないようです。笠取峠をいっきに駆けあがり、長久保向けてくだっていきます。途中学者村なるおかしな名前の別荘地を過ぎ、大きく迂回する新道を避けて旧道を進みそれでもカーブがいやで、藪をショートカット。長久保の手前の集落で、神社の大きな桜が満開です。
長久保には11時過ぎに到着。昨日無理しなくてもこれくらいなら行けたかもしれませんが、ここから上田行きのバスの最終はなんと2時台なのです。ここまできてしまうと軽井沢に戻る手段がありません。
長久保もよく保存された宿場街で、住民の方の保存にむけての熱意を感じます。今日宿泊予定の浜田屋さんの角を曲がって、和田村をめざします。和田村はここから8KMほど。1時間くらいでしょうか。新しい道を右手に見ながら、和田へ向かっていきます。途中バイパスの起点を横切って旧道へ。和田の下宿です。ここから和田宿がはじまりますが和田宿はながーーーい宿場街です。また再びなにもない田んぼと道を進んで、和田の旧役場などがある中心地へ。
道の右側の神社でお祭りをしています。出店が4軒ほどでています。神社jの境内に土俵があり、行司さん、呼び出しサンと、関取が2名。もちろん村の方たちでしょうが、お相撲をとりはじめました。とてもにこやかに。1回目、2回目と各方が勝ち3回目は行司が割ってはいって引き分け。行司から麦わら帽子をもらって、双方かぶり、神殿にむかってシコを3回ほど踏んで終了。このお相撲は奉納相撲なのでしょうが、まるで儀式のように進行がきまっているようです。しかし最後に麦わら帽子をかぶってのシコにはどんな意味があるのでしょう…とてもユーモラスなお祭りでした。
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下を通る国道をはさんで、和田道の駅があります。そろそろ12時ですのでなにかたべていきましょう。レストランをのぞいてみると、混んでいます。暑いjのでソフトクリームだけいただき、特産品のお店をのぞいてみます。お焼き発見!野沢菜と餡を買います。ここのおやきも絶品です。うまいうまい。おやきをほうばって、川を渡った先の丘の上にある温泉へ。町営温泉のようで300円をはらって入浴します。さてさてのんびりした日程になりました。
温泉は内風呂のみですが、ガラス張りでとておみはらしもよくって、いい気持ちです。丹念に汗をかいた身体をあらって湯に身体をしずめます。浴槽は大きなものと、ぬるいちいさな浴槽があり、ぬるいほうは、はいっていても身体が冷えない、不思議なものです。
休憩しつつ温泉を1時間ほど楽しんで、時刻は2時です。カウンターで長久保へのバスを聞いてみたのですが、よくわかりません。とらえず2時半のバスにのって運転手に長久保に行きたいと言えとのこと。来たバスにのってそう告げると、バスの運転手さんがJRバスに接続してあげるからといい、急いで出発。さっきの道の駅へ下り、またのぼって旧中山道へ。そこで右折すると、左手にJRバスがきています。まにあったなぁと運転手さん。近くのバス停でおろしてもらってJRバスを捕まえます。おりたとたんだったのであわやいくすぎすぎそうとしていました。危ない危ない。JRバスの運転手さんに長久保までとつげると、湖のバスは長久保どまりといわれてしまいました。長久保のバス停は広く、丸子や上田行きのバスと接続してうるようです。
長久保に3時前に到着。かなり早いのですが、旅館で一休みさせてもらうことにします。
浜田屋さんの前では、ちょうど娘さんがお帰りになった感じで、小さなお子さんやだんなさんがいらっしゃいました。だんなさんにつづいて、”こんにちは”と宿へはいっていきました。
ご主人に、まだ早い時間にかかわらず、こころよく部屋にとおしていただけました。
お部屋までは2つの階段を継いでたどり着きます。昔の旅篭の風情をのこした造りですが、磨きこまれているとともに、部屋のあちこちにご主人の趣意をこらした飾りや掛軸、けっして古いものだけではなく新しいものも、さりげなくかざられています。旅館にはすみずみまでご主人のおもてなしの空気がピンとただよっています。
2階なのか3階なのかちょっと曖昧な客間にはいると、不思議と落ち着きます。ご主人が建物が明治のつくりであること。となりの立てものは江戸ものもであることなど説明いただきました。お茶にお手製の草団子(よもぎもち)をごちそうになり、すこしねむたくなってきましたので、よこになっていましたら、座布団と枕をだしてきてくれました。ふすまや障子は幅が広く現在の家屋のものはまるでおもちゃのよう。しばらくうたうたしていましたが、いつのまにか寝入ってしまいました。

夕飯は6時半、とてもよいころあいに食事部屋にとおしていただきました。
食事をする部屋もとてもふるいのですが磨きこまれていて調度品など趣をこらしたものです。温かいものを温かくさしていただきました。サラダにはパルマハム、山うどのお浸し、岩魚の煮付け、豚肉の味噌付け。てんぷらはあげたて、山菜がたくさん。あと極太のアスパラ。どれもとてもすばらしものです。とても感激しました。長久保でこのようなもてなしのお宿があるなんてもっとたくさんの人にしって欲しいとおもいまし。いままでとまったホテルや旅館の中でも一番にランクします。本当感激です。
食事が終わり部屋に戻ると、布団が敷いています。まだ8時前ですが、テレビを付けてごろごろ。裏の小山には提灯が点々とともっています。夜桜用なのでしょう。長久保は桜まっさかりでした。
10時には、電気を消して就寝しました。

■走行時間 2時間
■走行距離 10.2KM
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:31 | 中仙道一気走り!
5月2日(火曜日)中軽井沢~芦田
今日は会社に年休をいただきて、GWをフル活用しながら下諏訪から奈良井まで到達する予定です。宿泊は以前に御代田、長居、下諏訪にとっていました。本来なら安中から御代田までが今日の予定なのですが、かなり前倒ししてしまいましたので、中軽井沢から芦田までいって、御代田までもどる感じになります。新幹線は事前にかっていますので遅刻しないように家をでて、モノレールで浜松町駅へ。山手線乗り換えで東京駅。8時34分発のあさまで軽井沢駅へ。また高崎から軽井沢へ行きますが、こっちは17分。登りが時間がかかるようです。軽井沢駅はガスの中、駅の構内はもちろん、待合のある2階まで霧がたちこめている状態です。軽井沢駅で中軽井沢行きへ乗り換えようとして愕然。接続時間がほとんどなく電車はいった後。つぎの電車まで45分くらい空きがあります。ここはタクシーをつかって中軽井沢へ。料金は1500円ほど。意外と高い。やっぱり距離があるのですね。中軽井沢駅前で降りて、そこからスタートです。国道沿いをまずは歩き始めて、町並みがきれたとこから走り始めます。ちょっと雨模様。古宿あたりに差しかかると先を傘をさして歩く方が。追いついて声をかけて見ると、中山道をあるいているとのこと。中津川の方らしく、中山道を往復する途中だというではないですか!中山道は往復してはじめて制覇したことになるとおっしゃる言に、ただただ感動。なるほど。手もたれた手帳にはびっしりと中山道情報がかきこまれています。昨日横川から旧道の山道を越えて軽井沢にきたそうです。この方は中山道のプロと見うけました。宿場街の枡形や、旧市街地がどうして残されていったのかなどについての御見識をいろいろ伺いました。案内板や遺物を見つける目もするどく、道道見つけてはデジカメで写真を撮られていました。雨も次第につよくなってきました。身体がひえるのが怖かったので、ここでご挨拶し先を急ぐとこに。今日は佐久までの予定とのこと、雨の中無事着きましたでしょうか?
信濃追分の駅あたりまででてきたあと、中山道を見失い、別荘地の中を抜け高原野菜の畑の中を進みます。御代田の役所の下を抜け、御代田の駅前通りとどんどんくだっていきます。今日は地域の道路の整備の行事らしく、溝掻きをしている方々をみかけます。みなさん雨の中をはしている姿を注視しますが、声をかけてくれるわけでもなく…雨の中トレーナー姿ではしっているのは多少怪しげではります。しばらくすすんで中山道を捕まえることができました。小井田の宿のようです。水が道路の左右になだれています。比較的宿場の様子が保たれている景観が素敵な宿です。途中女傑なんたらの看板が。どうやら、ここらの開墾した集団の長だった女性で、いろいろとやった偉業を称えて観音様を立てているようです。さらに先を進むと、飴製造卸の看板を掲げた古いお屋敷。もう閉めているようですが、いかなる飴だったのか興味があります。小井田の宿を抜け道はどんどんくだっていきます。佐久にはいって、交通量も増えてきました。道は信越道をくぐり唐突に郊外のショッピング地域へ。ジャスコやファミレスの看板が立ち並んでいます。道は岩村田へ入ってきます。ローソンの駐車場を過ぎると歩道のみのアーケード。しかしお店のほとんどはしまっています。郊外店に客を奪われてのことでしょうか…そろそろ12時、昼食はここらでお蕎麦でも。左手、西念寺の入り口にお蕎麦の看板。近づくとごま油の香り。ん~ここは出来るぞと期待。店に入ると客は半分位。温かいてんぷら蕎麦を注文。うつもそうですが、てんぷらというとえびのてんぷらがのっているのですよね。ぼくの感覚ですとてんぷらというと、さつまあげの丸いうすいのがのっている感じなのです。九州だからでしょうか?すくたくてもカキアゲがのっている感じなのです。大きな海老天がのったお蕎麦がきて少しびっくり。手をつけてみるとかなりおいしい。これはすごいおいしい、うむむうなりながら、お蕎麦をいただきます。お店の方が蕎麦湯をもってきました。東京味になれているとこの程度であれば許容範囲なのですが、たしかに濃い目でありました。蕎麦湯を足して適当な濃さに。もうちょっといただきたく、盛り蕎麦も追加。もりそばにしてみて、そばの美味しさがはっきりわかります。なかなかの名店であることにちがいありません。
蕎麦を堪能して、からだもあたたまったところで、岩村田を後にします。
岩村田から中山道を見つけるのにはちょっと難儀しそうでしたが、佐久平と清里に行く国道を直角に横切る道を選択。岩村田高校の裏手を踏み切りを渡り、病院の方へ進む。ここで皇宮和宮の碑を見つけここが中山道であることを確認。最近中山道については匂いでわかるようになってきました。きょうの懸念であった岩村田を越え、田んぼの中を塩名田の宿へ。ここらは大きな道もなく、田の中道を進みます。傍らにある道祖神などを目印に。長野にとって佐久は貴重な水田地帯です。
すこし坂道を登りきったところで、塩名田の宿へ。風がでてきてとても寒い。手が冷え込んできました。足もいたくなってきます。冷えは一番の障害です。塩名田は、片側に古い家屋がのこっています。和菓子屋もちらほら。途中ぐっとみちは川にむかって弧を描いて下り、橋をわたりました。川の両岸には、取り残されたように宿屋が軒のつなれています。橋をわたりきったところに塩名田の由来を描いた看板があります。かつてここから先悪路だったため、宿場が小刻みにつくられているとのことです。次は望月をめざします。道は宿場を過ぎると急なのぼりざか。のびりきったところで、いったん新道をよこぎり、丘をみぎてに巻きこみながら登っていきます。登りきったあたりに小学校があります。下校時刻らしく小学生とすれちがいます。さっこん不審者がおおいのですが、不審者にみえないかいらぬ心配などしてしまいます。小学校は桜が満開。小学校の正門前の坂道はさくらの花びらが降り積もってとてもきれいです。
5月2日(火曜日)中軽井沢~芦田_f0017780_0273035.jpg

小学校を過ぎ、さらに山道のような細い道路を進むと大きな道路にぶつかります。坂を登り下ると八幡の宿。ちいさな宿場街ですが、由来のある八幡神社があるそうです。さらにさきを急ぎます。道はその先で二股に分かれています。新道と旧道のようですが、とちらもおのおのトンネルへとはいっていきます。ここは旧道のほうへ。トンネルには歩道がなく車道を走っていきます。はねられないか気になります。トンネルをでたとことが望月の宿です。望月の宿は谷底に家屋が密集した感じになっています。細い路地のような道をすすむと、まるで京都の路地に迷いこんだ感じの感覚。古い造酒屋や旅館が趣を高めます。ここはまったくの江戸時代そのままです。こんなところがのこっていたとは!とても感銘しました。
しかし、やすむことなく先へ先へ。理由は寒さです。小雨と風が間接を襲います。膝と足の甲が痛んできました。多分サブさのせいで硬くなってきたのでしょう。つぎの 芦田まで先を急ぎます。
望月を抜けると再び坂道となり、広い道を合流。道にはバスが岩村田まではしっているらしく、帰りはこのバスにのって佐久平までいけばよさそうです。バスの最終時刻を確認しながら進みます。丘を越ええて坂をくだると、芦田の入り口です。芦田も街中をまっすぐな街道がぬける典型的な宿場街の様子です。芦田の宿を上まで登りきって、左手にある新道へでて下り、役場の前のバスどまりで時刻を確認。すると岩村田行きの千曲バスがやってきました。発車時刻まで40分ほど。夕方でそとはとても寒くなってきました。バスの運転手に時刻を確認して、近くのスーパーで甘いものを入手。お焼きとお饅頭です。これがまた美味。信州はお饅頭の皮に命をかけているのでしょうか、すいばらしい味です。お饅頭をたいらげて、バスにちかよると、寒いのでのってもいいとのこと。バスはとても暖かでした。バスの運転手は立川の出身で縁あって千曲バスで運転手をしているとのこと。バスの暖房は調整できないことや、冬季白樺湖までの路線は命がけといったことや、白樺湖から先諏訪バスとの接続について双方連絡していないことなど、お話をうかがうことができました。
バスが発車し、来た道を逆に進んでいきます。途中疲れからか寝てしまい佐久の手前で起きて佐久平駅前で下車。小海線で小諸までいって小諸から御代田まで。御代田駅からタクシーでホテルへ。
ホテルのレストランでソースカツ丼をいただき、ビールをのんでそのまま寝てしまいました。

■疾走距離 26KM
■疾走時間 7時間
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:30 | 中仙道一気走り!