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by v_yuucha_v
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4月30日(土曜日)高崎~中軽井沢
朝起きたらテレビが消えていました。スリープにしていたのでしょうか?
歯を磨いて、7時になったので下に降りていって朝食をいただきます。朝ごはんもおいしくいただきます。昨日のこともあり、朝のお通じに気を使います。
身支度をして8時前にお代を払い、宿をでて、駅をめざします。駅についたら9時前の電車にのれました。高崎につくかどうかというときに電話が…丸直旅館さんから”カギもってませんか?”あぁ確かにもってます…すみません、”お家についたらおくってください”とのこと。おわびを申し上げて、品川にもどったらお返しするようお約束もうしあげました。
電車には、ジョギング姿のおじさまが1名、途中駅で下車していきました。高崎駅について今度は西口側におります。朝からだが硬いので、だらだらと歩くことからはじめます。駅前を過ぎ大きな市役所の庁舎を北に曲がりまた西に曲がり、城跡の中におおきな音楽ホールなどみつつ利根川方向へ。大きなバイパスを通しているようで、道をわたっても歩道がありません。そのまま烏川を渡る橋を渡って、対岸へ。野球場が何面もある河原を堤防沿いに進みます。碓氷川サイクリングロードと標識がありますが、この堤防上の道が安中へ向かうのかいまいち不安。道は18号に行き当たれば安心なのですが、おそらく17号線と18号線の分岐はもっと北寄りとおもわれます。碓氷川とういうからには碓氷峠から流れ下るのか?それとも富岡からくるのか?自信が持てません。しばらくいくと碓氷川の北岸にわたる橋をみけたので、それを渡ります。しばらく堤防にそって進むと右手に小道がありますので、そちらに折れてみました。しばらく進むと大きな通りへ。バイパスのようです。バイパスの歩道を駆けていくと、道路標識をみつけることができました。18号線にまちがいありません。ここから安中まで6KMほど。小一時間でつくでしょう。ふたたび碓氷川の堤防がちかずいてきましたので、ここから堤防に上がり、しばらく堤防をはしることに。良い天気、ほぼ快晴、日差しがきつくサングラスをすることに。おそらく狸焼けするでしょう。ガンガンはしっています。河原はまだ野球場がいくつか作られています。高崎や野球に熱心なのでしょうか…。小林寺達磨寺へいく道が18号からのぼって土手を横切ります。車にくおつけながら道を渡り、また堤防を進みます。途中、木製の橋が碓氷川にかかっているのを見かけます。橋脚は鉄骨に代えられ、かさもあげられているようですが、橋の由来を示す看板などありません。さらに進むと堤防が大きく盛り上がり、また下っていきます。この堤防は高崎藩が長い時間を欠けながら普請(古い言葉ですが)してきたものでしょう。ところどころに石碑がみうけられます。道は大きくカカーブした18号の下をくぐります。その先で堤防の道は信越線にさえぎられるように終わっています。安中は川を渡るのか渡らないのか?ここでまたあやふやな感じです。道もないので、18号線にのっかっていくことに。川を大きなカーブを描きながら渡ったところで、左車線へ移動。歩道は工事中ではしりにくいです。そのまま走っていくと、安中駅の看板がみえてきました。こちらでよかったようです。.左手には大きな工場が山の斜面に何層にも重なって立てられています。この工場で働く人はあの斜面をあがったり下がったりしてるのでしょうか…エスカレーターや斜面用エレベータなどがあるのかにゃなどといいかげんなことをいろいろ考えながら走っていきます。
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安中駅の入り口を過ぎると再び橋をわたって、のぼり坂。走り始めて初めての本格的なのぼり坂です。いよいよ中山道らしくなってきました。坂をのぼりきったあたりで新島譲旧家の看板があります。”庭上のいち寒梅♪”と吟詠で有名な作詞家と認識しておりましたが、どこぞの大学の創設者であるようが有名らしいと最近しりました、ちなみに吟詠について中学の校長の趣味でいつも歌わされておりました。
坂を上りきるとちょっとくだり、左手に安中の文化会館があります。安中侍マラソンのノボリがずらずらとならんでいます。たしか、安中では碓氷峠(旧道)をマラソンするイベントをやってたのを記憶しています。ここから走っていくのですね。どれくらいのタイムなのでしょうか?というかみんな侍の姿ではしるのでしょうか?6月開催の予定のようで、機会があれば見てみたいものです。道は橋をわたってまた登りとなります。小さな谷をこえ尾根に登りまたくだり小さな谷を渡ることをくりかえして道は進んでいます。
かなり遠方に見ていた妙義山がかなり近くにみえてきました。岡の上を遠方に碓氷川を感じながらはしっていますと、どこからか機関車の警笛が聞こえます。本物を聞いた事なぞないのですが、それとわかる音です。なぜなのかとおもっていますと、碓氷川の方向に、黒い煙が立ち登っています。しまも煙は峠にむかってすすんでいます。岡の下のほうに線路がとおっているのでしょう。今日はGWなので蒸気機関車を走らせるイベントをやっているのでしょう。見たいきもしますがここからはまったく姿をみることができません。また途中ですれ違うかもしれません。
18号線は働く車(トラック)の通行も多く、さらにGWということで自家用車もたくさんはしっています。歩道は凸凹タイプで足への負担が大きいので、もうしわけありませんが車道をランニングさせていただきました。とても迷惑されたかもしれません、この場をかりてお詫び申し上げます。
さて、松井田に近づいているとおもいますが、まったく距離がわかりません。途中左手に入る旧国道ぽいところがありましたので、そちらへ進みます。すると宿場町の様相。ここが松井田でしょう。目印の松井田商工会の石造りの建物を過ぎ、ここで一休みします。ちいさなスーパーでバナナとアイスをかって、前の神社の階段に腰かけて休憩。時刻は1時前。9時に高崎をでて3時間。今日はとても暑いですね.30分ほど休んで、きょうの目標はどこかにゃと考えてみます。横川まではあと5KMくらい。その先は軽井沢までいかないと帰りの足がありません。横川までいっても3時、軽井沢までいって+3時間でおそらく6時にはつくとおもいました。今日は軽井沢、その先の中軽井沢まで進むことにします。それでは、スタート。松井田の町を抜け国道に合流。線路を高架で渡り国道の歩道をどんどん進みます。ここらの歩道は凸凹もなくバリアフリーな感じです。道はときおり旧道を大周りして集落をさけながらすすんでいます。旧中山道をトレースすすらなゆるされないのでしょうが、中山道疾走プロジェクトなためおかまいなしに国道をはしっていく。線路と碓氷川と国道が3つ沿っているところで、右手に旧中山道の→。ちいさな踏み切りを渡って旧道へ。ここは経験的に国道が集落を巻いて遠回りしそうなところなので旧道を選択。横川の集落の中を道は進みます。峠の釜飯の本店?の前を通り越します。時間に余裕があれば釜飯ゲットなのですがあいにく時間もないので、素通り。左手にはたくさんの電車や機関車が見えます。横川の車両博物館(正式名称はわかりません)があるようです。
さて、ここから登りになりますが、道は多少複雑となります。碓氷峠はバイパスへ進む道が谷を渡る橋を越えてトンネルへ消えます。旧道(中山道も含め)はそれをぐるり巻いてトンネルの上にのぼっていきます。再び交通量の多い道を横切ります。岡を巻く急な道を這いずるようにあがっていきます。眼下に碓氷バイパスと川が見えます。ここで、とてものどが乾いてきました。実は自動販売機がたくさんあるので水分の補給には苦労しない状態だったので甘くみていました。バイパスからわかれてこの方自販機がみつかりません。行けども行けども状況発生。とても暑く汗もかなりかいていましたのでピンチです。おー水水~状態ではしることしばし。かなり坂をあがったところで、坂下宿に到達。しかし自販機無し。道路の両側には用水がながれています。しかし飲むわけにはいかず、我慢して走ります。ひょっとしてこのままないのかとおもっていますと、ディリィーヤマザキストアーが!早速お店に入り、水とお茶となぜだかバナナ2本をゲット。反対側のなにかの施設の案内板の足に腰かけてゴクゴク。生き返りました。死ぬかとお思いました。昨日のトイレといい、今回は生きているなぁと実感する旅です。ここで、3時をまわっています。まあ行くしかありません。
走り始めて6時間が立ちますが、まだ行けそうです。坂下宿を出発、急な坂道をゆっくり走っていきます。大きく左右にカーブしたところで、道下の線路のない線路?を歩いている人がいます。碓氷峠の旧線路が遊歩道になっているようです。おもしろそうなので、道を降りて旧線路を行くことに。さて、コンクリートで舗装された道はかなり旧勾配です。レンガ作りのトンネルにはいりますとさらに急勾配に。こんなところを電車が走っていたとはなんと無謀なことかと。
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明治は必死な時代だったのだなぁと、勾配をもってひしひしと感じされます。休日なので多くの人が旧線路を楽しんでいます。子供やお年よりなど広い世代がいろんな楽しみ方をしているようです。道すがらインストラクターの札を下げた方に何人かすれ違いました。線路は驚異の急勾配を見せながらさらに登っていきます。国道をかなりショートカットできるはずです。いくつかのトンネルをぬけたところでめがね橋に到達しました。ここで線路道は終了。線路から国道へくだる道をすすんで国道へ。さてここから軽井沢までいったい何キロあることやら。旧中山道は山の向こう側を並走しているはずです。国道は曲がりくねりながら高度をあげていきます。見上げるとかなり上方にガードレールが見え隠れ。ウムウムとうなりながら道を進みます。交通量がとても多く、後ろや前から来る車やバイクに気を使いながら、ときおりカーブをショートカット。すれ違う車は、”なぜここに人がいるの?”みたいな感じで視線が合います。道道信越線の後が残っています。新線は最近新幹線の開業とともに廃線になりましたが線路設備はそのまま残っているようです。問題は明治につくられた旧線です。とつぜんレンガ作りのトンネルや端が道の方脇に出現、道路でさえ通じているのが異常な感じがするところ、明治の鉄道の残骸が、さらされています。すこしぞっとしました。
ずいぶんのぼったところで、距離表示の看板が。軽井沢まで12KM!。あれれ?ぜんぜんすすんでないじょ!。ちょっとショック。そこで休憩。バナナを食べ食べお茶をのみのみ。車にじろじろみられながらの休息です。路傍で死体のふりでもしたらどうなるかなぁとかいらないことを考えたりもします。
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気をとりなおして再スタート。高度がずいぶんあがってきています。そらが近づき、山の端がすぐそこに。スキー場のリフトが見えてきました。ここからあっけなく碓氷峠を越え、長野県軽井沢町へ。ああ、道路標識は軽井沢役場までの距離なのですね。5KM程度でたどりつくことができました。
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写真をとって、ちょっとだけ休んであとはくだりです。ちょっと下ると、新幹線がトンネルから顔を出します。あの登りを体験した後新幹線を見ると、日本は必死から豊かに変わったのだなぁと実感、でもいまだに必死なのでこんなとこに新幹線をとおしてしまうのだなぁとおもいます。
新幹線軽井沢駅で5時半、中軽井沢までいけそうです。距離を稼ぎます。国道沿いに進みます。途中ひろい通りへ。ここは東京かとおもうがごとく光景。あの峠を越えた先にこの街があるとは、ショックです。トイレで顔を洗って身なりを少し整えて、中軽井沢を目指します。風情はなく、浅間山も見えず夕闇の国道を走ります。東京ではあまり見かけないサークルKにたちより、手巻きのすしを買って駐車駐車場でたべたべ。買物に来る車はベンツ、ベンツ、ベンツ。あれあれ…碓氷峠はやはり魔の空間です。かなり暗くなってきましたので、先を急ぎます。軽井沢と中軽井沢は結構離れています。町役場の前を過ぎ、雨の中、中軽井沢の駅前交差点に着きました。今日はここがゴールです。駅にいって電車の時刻を確認。軽井沢行きが7時45分なでのあと1時間。夕食を駅前の蕎麦屋でいただきます。けんちん汁でからだを暖めます。
中軽井沢から電車で軽井沢まで行き、軽井沢から新幹線あさまで東京へ。軽井沢から高崎までたったの15分。8時間に及ぶ疾走もわずかわずか15分です…やりすぎです。明治の先人はどうおもっているのでしょうか…。東京駅につき品川駅で下車、駐輪場で自転車を受け取り家に帰りました。
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■疾走距離 53KM
■疾走時間 8時間20分
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:29 | 中仙道一気走り!
4月30日(土曜日)鴻巣~高崎
朝4時54分の品川駅から電車にのる。大宮にて高崎線にのりかえて鴻巣へ。6時には鴻巣に到着。と予定して、朝3時に起き4時半に家を出て、品川駅の地下自転車置き場に自転車をとめる、。早朝なので、まだ駐車券の販売機におつりをセット中。おじさんに、お金を渡してお願いして地上へ。品川駅の港南口は始発電車帰り組みのサラリーマンがあちこちに倒れている。駅へついてスイカで入る。プラットフォームも連休前夜の飲み会で朝までやってたのか、とても早朝とはおもえない人数。しかも臭い。昔からこの人臭さがとても苦手。電車が来る間、東海道線側のフォームに完全防備のごついおまわりさんの一段が。するとそこへ‘ながら‘が到着。‘ながら‘は東海道線の夜行普通電車、京都あたりからやってくるみたいだけど、詳しいことは知らない。‘ながら‘が発車するとおまわりさんが集合して、立ち話をしたあと、階段をあがっていきました。前回の荒川の時もそうだけど、東京にはいってくる人間はこんなうふうに監視されているようです。
京浜東北線が到着。すでにかなりの人数が乗車している。とても臭い。あるいみ朝のラッシュより臭い。あいている席にすわる。となりは酔っ払い。こちらにもたれてくるのを、肘でわきバラあたりをグスッと一発。しばらくは効果があるが、またもたれてくる。3回ほどやったのですが、相手のほうが上手。席を立ってドアの前に立つことに。新橋、有楽町でさらに乗車。ラッシュとかわらない。汗とお酒とタバコとスルメのにおい。これはいかん。高崎線に早くのりかえたい。上野の乗り換え時間は3分。上野の構内はひろいのでたどりつかないかも。携帯の乗り換え案内は赤羽8分とある。なぜかにゃと疑問には思いましたが、赤羽で下車。のりかえ中にホームを確認しようと電光掲示板をみてみると、5時50分まで電車がない。40分待ち。あれれ?携帯を見直すと、京浜東北線が一本早い電車の乗り換え案内だった。しまった!鴻巣到着は30分遅れとなりました。この日の東京はとても寒くて、ホームではまてません。改札フロアでだらだら時間をつぶします。高崎線が到着。電車はすいていました。あとは鴻巣まで、1時間半ほど。やれやれ。
鴻巣につくと、なんにんかが下車。駅前から中山道へ。駅前は再開発中、はやりの駅隣接マンションの建設中です。駅前に見通しの効かない大きな建造物をたてるのは、どうかなぁ…30年もするとふるくて汚くなってスラムみないになっちゃうんじゃないいかにゃ。と余計なお世話ですが、中山道を10分ほど早足であるいて、駆けだします。そうそう、きょうはお泊りなのでNorthFaceのウェストバックを小田急でかってきました。あとナイキのランニング用の長袖も。日焼けしちゃうのでながそでにしました。駆けだすとウェストバックがばたばたをあばれます。ベルトとかいろいろ走りながら調整して、バタバタがおさまり走りやすくなりました。17号にでるか、旧道をいくか迷いましたが、車も少ないので旧動を進みます。線路を渡り、住宅街の中を北へ。ここらでも、住宅がびっちりと道路に面して立っています、まだ東京圏なのですね。大きなスーパーなど開店準備しています。
っと、そこでお腹がごろってきました。緊急事態発生です。ウェストバックのベルトがお腹を刺激したにちがいありません。朝トイレにはいってきましたので安心していたのですが、どういうことでしょう。時間がたつほどにかなり厳しい状況に。走ることもままなりません。これはコンビとかで用をたすしかないです。国道にでるために東進。国道にでると、コナカとか青木とか。この時間にやってるわけもなく。国道を北上。見渡す範囲にコンビになし。あれれ。とりあえず進む、進む。無我の境地。大きなスーパー、パチンコやさん。もちろんまだあいてません。これは、安全策のために隣駅へでるまでが最大値と思い、途中国道からまっすぐ市街地に入る道へ。とおくにNTTのマイクロウェィブのアンテナが見える。NTTの支店って昔はあちこちにありましたが、いまは、ほとんど空きビル見たいな感じですね。だいたいあのあたりが駅かなぁと希望をつなぎつつ、エネオスのスタンドの看板。その向こうに7-11の看板が!やれやれ。7-11でトイレは拝借できました。さっきまでの危機迫る状況はうそのように去り、正常な状態へ。
さて、ここで中山道道中記では、荒川の土手筋にあがって進む道を紹介していますが、どこからはいったものかさっぱりわからず。しかないので、そのまま国道沿いをとことこ進むことに。しばらく進むと遠方左手に土手がみえます。おそらくあそこなのでしょうが、左折して進む決意がつかず、そのまま国道をすすみます。いよいよ熊谷市へ突入。熊谷は結構大きな街かなぁとおもっていましたが、駅東口側はあまりにぎやかではありません。地下道をとおり西口へ。んーいまいち。ここで中山道をさがすもそれらしい道に行きあたらす。バスのとおる通りを北進。すると、左に土手が見えます。さっきよりずいぶん近いので、そこまで行って、土手にあがってみるととても良い景色です。天気も良いしひばりも鳴いています。なるほどと関心しつつしばらくはしることにしましたが、これが道間違いの始まり。実際の中山道は土手とわかれてとっくに17号の東側へ進んでいたのです。それを知らず、1時間ほど土手をジョギング状態でかなりすすんでいきますと、線路が並走してきました。高崎線?にしては来る電車がみじかいぞぉ?とおもって、よくよくみてみると”秩父線”と…!げぇ…。ここでずいぶん西側にそれているのに気づきました。運動公園手前で大きな道沿いに(多分秩父に行く国道のようでした)東進。これまたしばらく東へすすんでやっとこさ17号バイパスへでました。左手には籠原駅手前の貨物ターミナルの広大な敷地が見ます。大きく三角形を描いてしいまいおおはばロスです。不勉強がすべての原因と反省。交差点にあるローソンでアイスクリームと水をかって少々休憩。
深谷をめざしバイパスを駆けだしました。多分中山道はどこかを並走しているのだろうな。それでもドカドカひたすら走る。道はほぼ直線。ゆるやかにアップダウンをくりかえしながら、歩道も広くとても路面もきれいで、よくある車道にでるための切り欠きにある凸凹もなく足への負担がほとんどありません。右手の遠方に交通量の多い道がみえます。多分あそこがさらにあたらしい17号線のバイパスなのでしょう。道が下り坂になっておりきったところに競艇の場外”ボートピア”がありました。今日はあいにくやってませんでした。さらに進むと、遠方のバイパスが合流。いよいよ深谷市にはいりました。17号線を右手に分かれ旧道を市街地へ。今日は、ガーデニングのイベントをやっているらしく、手にマップをもったご婦人方が家々の軒先や庭先に展示されている草木や花々を観賞してまわっています。旧道は歩道はあるものの、側溝のふた程度しか幅がなく、しかも凸凹や車道のための切り欠きの高さが高く足に負担が大きい。車道をとことこはしることに。国道からずいぶんはしって、やっと宿場街らしくなってきました。といっても江戸の雰囲気ではなく昭和30年代の雰囲気がします。道の建物の壁には、かなり色あせた草津温泉の旅館の絵が直接描かれている。また、草津温泉の宿泊案内所の看板が崩れ落ちそうな感じで軒下にかかっていたり。かつての国道のとおる目抜きどおりは、昭和なまま化石化しつつあります。和菓子屋さんもたくさんあるようで、中の一軒にたちより。少々しか買わないので申し訳ない感じで、お饅頭を3つ。1つはシンプルなもの、エンドウ豆餡、そしてお赤飯の餡のもの。饅頭の皮は、ほのかに甘くふっくらしていて麹の香りがします。お赤飯ものもは、とてもおいしい。小川を渡ると、反対車線の2人のおばさまに地元のおじさまとおぼしき方が、路傍にある石碑などに付いてご説明されているご様子。道は深谷の駅前にでる交差点に。そこにお稲荷屋(いなりずし)を発見!。しかもとてもうまそう。いなりはくろぐろしていて、お酢がちょっとちがう感じです。饅頭をいただいてしまったので今回は見送ることに。すこし上り坂になりまた平坦に。町並みはまだまだつづいています。深谷はかなり大きな宿場街だったようです。ずいぶん進んで、常夜灯があり、道がクランクしてまだ古い屋並がつづいています。ゆっくりとした上りをすぎ、線路が畑のはさんで左側にみえるところでいったん休憩。自販機でお茶のペットをかって、腰かけて休憩します。まだ住宅街なのでこんなところで座り込んでいると不審者にみえるでしょうね。でも、ジョギングの格好だし、汗かいてるし、ペットボトルのお茶飲んでるし…などとできるだけ怪しくないといいきかせながら休憩です。天気は最高!調子も良いのでどんどん行こうとおもいます。
休憩をおわり、また駆けだします。みちはさっき分かれた17号に合流。市街地を避けるようにバイパスが通されているので深谷の街は昭和でとまっているのでしょう。ちょっと道なりにすすむと右側に旧道の分岐が見えます。17号の車の切れ目をみつけてさっと横断。旧道をとことこ。ここは岡の上らしく見晴らしが効きます。ずっと遠くに高速道路、高圧電線と鉄塔が幾筋もみえます。こんあにみはらしがきくもの今回の旅初めてです。きぶんよくトコトコはしっていきます。またしばらくすると17号に合流。左手に渡って、広い歩道を走っていきます。本来なら本庄の宿にはいっていくはずですが、17号からの入り口が不明で、そのまま本庄を通り越します。道は緩やかに右に左に。緩やかな上りをへてやがて大きな橋をわたります。烏川というようです。橋の両端に常夜灯のミニ判がくっついています。橋を過ぎると右手に旧道の入り口が。国道を足早に渡って旧道へ。自衛隊の部隊が駐屯しているようですね。
さて、いよいよ新町へ到着。今日の目的地でもあります。鴻巣駅をでて45KM時間にして6時間。時速8K~9KMといったとこでしょうか。新町の丸直旅館を予約していましたが、まだ時間があります。高崎まで電車で移動して高崎から新町を攻めることにします。駅まで旧道を歩いて移動。そこで酢まんうじゅうの看板。和菓子屋さんですが、おまんじゅうと、上州名物焼きまんじゅうをやっているようです。もう火がおちていたので、焼き饅頭は申し分けなく遠慮してして、酢まんうじゅと柏餅を購入。前の広場ですわっておやつです。柏餅はほう葉の香りも高く、あんこもおいしい。
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酢まんうじゅうは、皮の麹に酢の香りがつよくでていて、わずかにすっぱい味がします。餡はすっぱくありません。さて駅はいずこ?しばらく進むと左手に国道へでる交差点、そこを歩道橋でわたると駅前にでます。ここから高崎行きの電車に。スイカがつかえますので便利にピぃっとしたところで260円の表示、やな予感。高崎駅まで時間にして10分弱、やな予感はあたってそうです。高崎~新町はかなり距離がありそう…。高崎駅について東口におりたのが17時とっとすぎたとこ。さて18時までにつくかなぁ…。駅から線路沿いの広い道を南西に。沖電気の大きな敷地をすぎ線路のガードを越えて、旧道とバイパスがごちゃごちゃと交わる交差点へ。有名なロックホテル(音楽ではなくて刑務所ちっくなラブホテル)をバイパスの向こうにみながら南進。旧道は傍らの用水路にふたをしていてその上をポコポコ音を立てながら進みます。夕方なので高崎から帰る自転車の人々とすれちがったり抜かれたり。だんだん歩道も狭くなりやがてなくなり。車道をトコトコ。三叉路に石碑と建物があります。ここから左は日光に、右が中山道のようです。勅使河原なんたらとかいています。勅使河原という方とお仕事であったことがありますがここらの出身でしょうか?
みちは、バイパスと合流、高崎線の高架を渡り、川を渡ります。ここでまた交差点。大きなバイパスでは歩道が分断されている子とが多いのですがここもそうです。歩道は迂回してまたバイパスに合流。信越自動車道をくぐってまだ先へ。ぼくの頭の中から藤岡が欠落していたようです。もうすでに1時間近くが経過。うへうへ意外と遠いぞ。くらくなってきました。ススメススメと言い聞かせてバイパスを疾走、すでに18時は過ぎ、道は直線、その先に新町は見えず。やがて線路が近づいてきます。列車の速度で駅が遠いか近いかなんとなくわかります。列車がきました。おお!ブレーキの音がします。もう少しですね。大周りなカーブをまがるとさっき渡った駅前の歩道橋。やっとつきました、新町駅です。駅前にもどり、タクシーにのりのり丸直旅館まで乗せてってもらいます。あーつかれました。道すがら高崎までの距離表示の看板を振り返ってみてみると13KMと。あれあれ、きょうの移動距離は55KMに達してしまいました。
丸直旅館は旧道沿いから自衛隊のわきに移転されたようです。新しくてきもちのよい宿です。先にお風呂、そしてお食事をいただきました。ぼく以外に作業のためにとまっている2人組がいっしょに食事をしました。食堂はレストランをかねていますので、ほかになにやら特許とか乾燥機の話を熱心にしているお客さんが2名うなぎをたべています。今回はじめて宿泊でなにやら期待大なのです。夕食は、秋刀魚の塩焼き、味噌豚、おさしみなど。お刺身の鮮度に驚き、秋刀魚のやきかげんに感動です。とてもおいしい食事でした。食事後、ちょっとその辺をぶらぶら。駅前まででて、またかえってきました。戸中で7-11を見つけて甘味を買ってかえります。へやにもどり、テレビを付けてごろごろ。朝やはかったので眠たい。テレビをみながらうとうとしてしまう。おそらく10時に就寝しました。
■疾走距離 63KM
■疾走時間 12時間
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:28 | 中仙道一気走り!
4月23日(日)戸田橋~鴻巣
少し早起きして、昨日の続きをやろうかとおもっていましたが、気づけば10時。あわてて準備をして家をでました。戸田公園駅に11時前に到着。柔軟をしっかりして、17号にむけて走りだします。昨日打ちかえってみると左足のひざが少し痛みました。朝になると痛みもひいています。走りだしても特に違和感もなく大丈夫そうです。
17号線に出ようと思っていましたが、選んだ道が17号線より1筋北よりの道で、いっこうに17号にでていきません。しばらく住宅街をとことこ走っていくことにします。その道もT字路となってしまい、そこで右に曲がって直角に17号線に合流しました。戸田市を抜け、蕨市へ。反対車線に蕨宿の町並みへの入り口がありますので道路を渡って、そちらの方へ進みます。積極的に町並みを保存してるようで、歩道がレンガ色の敷石や案内所などが設置されていたり。古い商家がところどころのこっているのですが、ぎりぎり街道のイメージがのこっている状況です。これからもっと保存と新しい建物の造作を工夫するともっと雰囲気がでてくるかなとも思います。詳しい情報も持たずにぶらぶらしていることもちょっともったいない気もしてきましたが、それはそれで贅沢なものだとも思えます。見た目ですごいなぁと感じたものをこころに留めるといった方針でよいのです。っとおさぼりに理由を付けて言い聞かせます。
道は17号に交差します。古い道は17号を越えて進んでいますが、こちらは17号線を進んでいきます。
標識に上尾の文字が見えます。13KMほど。きょうの目標は上尾にしましょう。
道は歩道も十分広くて走りやすくて良いです。しばらく進むと東京外環道の入り口の大きな交差点にさしかかります。ここではじめて17号をハイクしている夫婦を見かけました。60代と思わしく、キョロキョロしながら歩いています。
すこし左膝に痛みが感じますが、すこしペースを落としてはしっていくことにします。17号の道沿いはずっと直線で見通しが効きます。旧浦和市にはいってくると、街なみが近づいてきます。武蔵浦和の駅の武蔵野線を越えて、上り道となります。荒川の河岸から台地にのぼっていくようです。
のぼりきるとまた直線でずんずんといった感じです。北浦和の駅を通り越してしばらくすすんでいくと、大宮市役所や埼玉県庁のあつまっている地区にはいってきました。ここで1時間。休憩することにしました。桜草の展示会とバザーが市民会館の前の広場で催されています。名物のおでんがありますが、たべるのを我慢します。10分ほど休憩をしてまた走りだしました。
さいたま市は大きな市でいけどもいけども状態になってきていました。ずいぶん走ってやっとこささいたま新都心につきました。そこから大宮駅へ。線路の向こう側に中山道がとおっています。大宮を過ぎて、16号と17号の大きな交差点にきまいた。変形の立体交差になっていて、歩道は住宅街をぬけていくような道筋になっています。交差点を過ぎると思いっきり直線になります。はるか向こうもずっと直線の道になります。歩いていくと、ところどころに17号のキロポストを見かけます。日本橋の起点空の距離が書いてあります。走っている時間は時計のストップウォッチで見ていますが、いったいどれくらい走ってきたかをしる目安になります。道路標識のキロ表記は車用でずいぶん進んでるのにいっこうに距離がへらなかったり、また逆だったりで大げさなのですが意外とメンタル面で影響してきます。
いま走っている道は17号線の新しい道で、一本線路側に旧17号現在は県道に格下げされている中山道があります。そちらのほうもどうかなぁとおもって左折してみました。200Mほどでバスがとおる県道にでます。ここが中山道になります。こちらの道にはコンクリートでできた木調の杭に中山道とかいています。この杭が気まぐれに路傍にたっています。中山道の文字以外になんの情報もありませんが、一人てぶら旅なので、心強くもあります。しばらく、県道沿いにトコトコはしっていきます。バスもとおりますが、なぜだか車もたくさんはしっています。17号線の方が広くてよさげですが、こちらの県道も結構な交通があるようです。県道の歩道はあったりなかったり。17号の新しい道のほうがとても歩きやすいのは確かです。中山道のトレースにこだわらないのであれば、17号をお勧めします。
県道だけあって、行き先表示板も近いところが中心で、どこにむかっているのか定かではなくなってきます。といってる間に上尾まで1KMの文字。あと少しです。
上尾に近づくと、結構な町並みです。駅前まで走り出てみると、大きなバスと列車のターミナルになっています。中学生や高校生の姿が多く、塾かなにかあるのでしょう。今日は上尾までかなぁとおもいっていましたが、まだ先まで行けそうなので次を目指します。
つぎは鴻巣が目標になります。雛人形などの工芸が有名らしく道道に工芸所の看板があります。みるとそこまで10KMほどと書いてあります。時間にしてあと1時間かそこらで付けそうです。
上尾の街を抜け、また結構な交通量の県道を走っていきます。
夕映えなのか曇っていて良くわかりませんが、少し暗くなってきました。車と同じくらい自転車も走っていて、歩道がない分後ろが気になります。
都中大きなマンション群が左手にみえてきました。駅からずいぶん離れていますが、このようなとろに江東区にありそうなマンション群は奇異にうつります。どのような方がおすまいなのでしょうか?まあ、ここらまでは都内通勤圏かもしれません。マンションを見ながらとおりすぎ、また県道をトコトコ走っていきます。ここらの道はゆるやかに右に左にまがっていて昔の街道の趣があります。ところどろこ大きな塀でかこまれた農家のたたずまいが、旅情をさそいます…ってとはありませんが、このあたりまでくると中山道らしさがでてきなぁなんて思っています。
しばらくはしっていますとまた宿場街の様相になってきました。旅篭とおぼしきビジネス旅館もあります。まちなみを保存しているのか、ところどろこに標識や案内板がみえます。ここの場所は失念したのであとで調べておきます。そろそろ5時もすぎようとしてきました。お昼をたべていないので、ここらでなにかよさげなものをいただこうかと思っていますと、うどん、うどんとうどん屋さんがたくさんあります。どこにはいろうかとおもっていると、製麺工場の向かいに創業天保XX年という看板のあるお店が。ここか!という直感ではいってみます。店内はそこそこ広く時間がずれているせいでお客さんは、僕を含め4組。案内を受けるふうでもなく、張り紙をみると、食券をかってくださいとのこと。自動販売機をさがせどみつからず。カウンターにおねいさんがいます。ああレジでかうんだ、と気づきそこで注文しようとすすんでみますと、膨大なメニュー…。うどん、そばのセレクトはよいとしても、世の中の麺類のとっぴんぐが森羅万障かかれている状態です。こんなときはめずらしいものを選ぶ方なので、それをさがすと、宿場汁なるものが。宿場うどんでも宿場そばでもなく、汁(じる)なのです。おねえさんに聞いてみますと、お肉とか、ごぼうとか、”おなす”とかはいってものにうどんかそばで。という。おなすとはイカに?なすびがはいっているのですか?とこれは珍しそうなので宿場汁を注文、もちろんうどんで。番号が書いている紙を渡されて、適当に道がみえる席にすわって、ぼーっと中山道を見つめています.しばらくすると番号でよばれます。さっきのカウンターにでむいて受け取ります。お盆にどんぶりがのったものをうけとると、これが重い。器が重いのではなく、宿場汁が重たいのです。
席に付いて箸で宿場汁をぐるぐるして内容を確認。おそらく、なす入りけんちん汁にうどんが入っている状態。さらに豚肉がどさどさ。かつて旅人はこれを食べて滋養したにちがいない。じゅるじゅるとうどんをたべてみる。しっかりしている。こしがあるのではなて、緻密なのである。つまったうどんである。硬くて重たい。これが上州のうどんなのでしょうか。たべてもたべてもへりません。下からわき出てくるうどんと具。これは大盛り標準のサービスメニューにちがいありません。味は濃い目、塩分を服や顔に噴出した体にとてもありがたい。こういっているとまずそうですが、いやこれがおいしい。20分ほどで食べ終え、胃のあたりがずんと重たくなりました。食べ終わりもカウンターにもっていくしきたりなので、行儀良く器をさげに。お盆はかるくなっていました。お茶をこれまたセルフでいっぱいいただき、店をあとに。
あと、どれくらいかなぁ。とりあえず走りだします。宿場の町並みもまばらになり、また畑と住宅の風景をトコトコと走っています。また雛人形の工芸所の看板が。あと4KM。あるていも小一時間ってとこでしょうか。また、つかれない程度に速度をたもっていきます。鴻巣の宿にだんだん近づくと、神社や古い民家がめだってきます。また、人形店の大きな看板がいくつもいくつもでてきます。県道が左に右に触れたかと思うと、いきなり町並みに入ってきました。鴻巣です。電柱には人形町と書いています。みtの両側には、五月人形をディスプレイした人形店が何軒も何軒も。鴻巣の人はこんなに人形を買うのかとおもっていると、どうやら制作をしているようで、産地としてとても有名らしいことがわかりました。しかし、なぜここに人形の産地ができたのかとても不思議です。人形以外に発展していかなかったのもまた不思議です。さらに現在もなお産地でいつづけることも不思議です。ここまで、足で風景をみながらここまでたどり着いて、夕闇せまる街道筋の人形店の屋並はとても幻想的、夢の中の光景、とても不思議な場所。印象に焼きつきました。
鴻巣の街道沿いは古いおうちがそこかしこに残っています。しかしながら、朽ちかけているものもあって、手を打たないと風景が失われてしまうのもそう遠くないと思います。
古い家屋で営業するお菓子やさんなんか立ち寄りたいとおもいましたが、雨にでもあったかのような汗でずぶぬれ状態なのではいるのもおもんばかってしまします。
今日はここまで。鴻巣駅へむかいます。東京品川天王洲アイルまで960円。こんなにはしってもまだ1000円にとどきませんでした。ホームにおリると、小田原行きの快速がくるとのこと。へー小田原までやしっちゃうんだ。ホームは似つかわしくなく15編成対応なので、ながーーいプラットフォーム。快速や特急の追い抜きもできる駅らしくとても広大なホームです。15両編成のまま高崎までいくのでしょうね。
4月23日(日)戸田橋~鴻巣_f0017780_0215727.jpg

売店でどらやきとコーヒーをかってホームでもぐもぐ。上野行きの電車を1本見送って次の小田原行き快速にのります。帰りの電車は約1時間半。すこしは遠くまできているのを実感しました。
■走行時間 6時間35分
■走行距離 26.8KM
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:27 | 中仙道一気走り!
4月22日(土曜日)品川~戸田橋
お昼に近所の台湾料理店で、ランチメニューの牛肉と卵のいためもの定食をいただく。この店の主人は30代の夫婦で日本語はなはせない。いつも中学生の娘がお店を手伝っている。息子は小学生で、いつも店のカウンターでゲームを退屈そうにしている。どうしてここにお店を出したのか伺い知れないが、ただ、とてもなかのよい家族と思う。
うちに帰りいつもどおりジョギングに行こうかと、着替えて靴をはいてみる。さてさて、縄とびに手を伸ばしてふと、どこまではしれるか…そんな考えが頭をよぎる。なわとびをもつのをやめて、お札を1枚ポケットにいれて、家を出る。いつもどおり、でもなんがかワクワクしている。
路上にでて、体を動かす。若いときは、運動前の柔軟がなんの役に立つのかわからなかった。年をとると柔軟の意味がわかる。
さて、旧海岸どおりまでとことこと走り出る。そこから海上公園を通り抜け、海岸通りへ。いつもならそこから天王洲アイルの交差点から品川埠頭へ曲がるところだが、今日はまっすぐ進む。
天王洲アイルをぬけ、マンション開発地帯を抜け、品川駅から田町を過ぎる。ここまで30分。いつもならここでジョギングは終了。ここからは未知の領域。
浜松町から浜離宮の横を通過し、シオサイトの歩道橋を渡って、昭和通りへ。そこは新橋そして銀座。トコトコと土曜日の銀座を京橋へとかけぬける。
日本橋は、一筋皇居よりなので、左折して銀座通りへ。ちょうど1丁目あたりで合流。東京駅前をぬけて、いよいよ日本橋。高島屋の前をはしりつきました。日本橋。ここでちょうど1時間。距離にして約9KM。時刻は1時55分。
とくに体調も足も大丈夫。ちょっと日差しがあって暑い。汗が出ているけど寒くはなってない。
まだいけそうなので、そのまま三越の前を左折して外堀通りへ。日銀の裏を回って新橋駅まえを通り過ぎ、昌平橋へでる。秋葉原中央通りの手前を神田明神の坂道へ。坂をかけあがる。ふと国道の道路標識がある。見ると17号線とある。どこにいくのかわかならないが、とりあえず17号線にそって走ることに。本郷あたり東大の赤門の前をトコトコ。途中17号は左折して2車線に入り込む。道なりにいくと、元白山通りにでる。そのままずーーと直進してくと、人通りがおおくなってきた。ここはどこかと見回すと、巣鴨の文字。ここは、刺抜き地蔵で有名な巣鴨らしい。道の反対側が旧道なのですが、反対車線になり、こちらの方がまだ人通りが少ない分走りやすい。
巣鴨を過ぎ、そのまま17号をどんどん。道はくだり調子になっていきます。ここらで時計をみると2時間を経過しています。一休みしましょう。自動販売機からペット飲料を購入。10分ほどお休みして、再び走り出します。今日はどこまで走ろうかと考えているうちに、”戸田橋”の道路標識があります。おそらく荒川にかかる東京都と埼玉の県境になるのでしょう。そこまで走ることを目的にします。
ここはどこかなとおもいっていますと、板橋の表示。ここから三田線が下を走っているようで、交差点ごとに地下鉄の入り口がでてきます。板橋からお引き続きだらだらと下り調子になります。
ここらで、ジョギングしているおじさんに抜かれてしまいました。だらだら走りなので、しょうがないのですが、しばらく先をいってもらってましたが、ここは追い抜けるか試したくなってピッチアップ。トントンと走りをあげて、追いつき、しばらく並走。相手のピッチが落ちてきたので、前に出てそのまま引き離し…。ん~気持ちいいです。ほいほいと走っていきます。またずーっと走っていきましたが、少しつかれてきました、ずっと荒川に下っていく道が足にダメージするみたいで、中途半端に休憩をいれてみると、かなり疲れた感。いっぽう戸田橋にはたどりつかず。ちょっとつかれたなぁと思っていると戸田橋まで3kmの表示が。あれあれ、まだしばらくつきそうにないですね。トコトコはしりで、いけるとこまでという状態。
しばらく走って、短めの橋が見えてきます。ここは戸田橋?いやちがいますね。方水路にかかる橋のようですが、その先が戸田橋なのでしょうか?さてさて、走りつづけると大きな土手がみえてきました。ついに荒川に到達。土手を上る階段をあがると戸田橋。その袂に交番があります。東京都に入る大きな橋の袂には交番がかならずありますね。昔でいえば木戸みたいなやくわりなのでしょう。
もう空は夕方、遠くに山のはがみえます。雲の間から赤い空が一部分みえ、山波にさえぎられるように今日がおわっていきます。戸田橋は徒歩で、ゆっくりと渡ってみました。川原は東京側は公園になっていて、埼玉側はなにもありません。岸と川との間があまりないかもしれません。荒川ってどこからながれてくるんだっけ。
さて、橋も渡り終えそうなところで、戸田市に入る標識がありました、振り返っても東京に入る標識は見当たりません。上流をみてみると、戸田競艇のコースがみえます。川の傍にコースをもうけたようです。洪水のときとか沈んでしまいそうです。
橋をわたりおえたところで、そろそろ6時。日もくれてきました。今日は戸田公園駅までで終わりにしたいと思います。17号から分かれて、路地にはいって線路沿いの道を進むと、埼京線の高架の先に戸田公園駅がみえています。埼京線は東北上越長野新幹線も同じ高架をはしっています。とてもおおくの新幹線が通り過ぎていくのがみえます。また東海道新幹線にくらべ車体もさまざまで、みててあきません。
高架の下にスーパーやフィットネスクラブなどが並んできてついに戸田公園駅に到着しました。戸田公園駅は比較的新しい駅なのですが、駅前といった趣はまったくなく、畑と住宅の中に空中から駅の入り口が降りてきているといった感じがします。しかし、東京に最寄の快速電車がとまる駅なので今後開発されるかもしれません。
4月22日(土曜日)品川~戸田橋_f0017780_23252671.jpg

■今日
走行時間 3.5時間
走行距離 19km
# by v_yuucha_v | 2006-05-31 23:25 | 中仙道一気走り!
auの改修 ファイルの分割対応
ユーザ様から、メールをいただきました。
質問なのですが、やっぱり携帯だとラジオを最後まで聴くことは無理なのでしょうか?
分割して全部聴けるようになると嬉しいのですが無理ならすみません(>_<)

対応がおくれましたが、分割して再生できるようにつくりかえてみました。
しかしながらauが今手元にないので、明日午前中チェックしてみます。
4月11日に連絡いただいてましたが、対応がおそくなりまして申し訳有りませんでした。
# by v_yuucha_v | 2006-04-27 01:31